「知っている」と
「分かっている」は全然違う話
はい皆さん!
突然ですが、「サンリオ」の
キティちゃんを想像してみてください。
すぐに頭に浮かびますよね?
今度はドラえもんを想像してみてください。
やはり、簡単に思い浮かびますね?
では、キティちゃんとドラえもんを
見本無しで絵に描いてみてください。
僕も描いてみます!
……。
ドラえもんはなんとなくそれっぽいですが、
キティちゃん……?
なんだかコレじゃない感がすごいですね。
というかリボンがついてるただの猫ですね。
パソコンのマウスで描いたから?
どうにもそういう問題じゃなさそうです。
仮に鉛筆を握って紙に描いたとしても
同じような結果になると思います。
でも疑問が残りますね?
キティちゃんを想像してくれと言われた時は、
脳裏にちゃんと描写されていたのに……。
なぜなのでしょう。
恐らくこれが、
「知っている」と
「分かっている」
の違いなのではないかと思います。
つまり、僕はキティちゃんやドラえもんを
「知っている」のですが、
「分かっていない」のです。
先ほどの絵で言うと、これが
キティちゃんとは何だか違う別物であることは、
おそらく小学生でもわかります。
ただ、具体的にどこがどの程度違うのか、
どこを直したらキティちゃんに見えるのか。
それを見本無しで正確に指摘できる人が
本当の意味で「分かっている人」
なんだろうなぁと思います。
こういうのって、
歯科技工においても同じなのかもしれませんね。
僕も何かを指摘されると、つい
「わかってますよ!」
と生意気を言いたくなってしまう癖があります。
でも多分、これって本当は
「わかってない」んでしょうね。
「若手だけどワカッテないね」
な~んてダジャレを、昔ある人に
言われたことがあるのを思い出しました。
僕もいち早く「分かっている人」になれるよう、
謙虚をモットーに頑張りたいと思います。
ライター 髙瀬 直